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渤海の教育制度は唐制に倣ったものであったと

日本に派遣された渤海使の随員のなかに大小さまざまな録事官が設けられていおり、また渤海滅亡後に建国された東丹国に広く博士や助教が設置されていたことから、これら官職に類似するものが渤海にも設置され、それは唐制に類似するものであったことを窺わせる。

また上流階級では女子に対する教育も実施されていた。これは貞恵公主や貞孝公主の墓碑に「女師」の文字があることから推察されている。

これらの教育制度により育成された人材は、一部が唐に留学し、科挙に及第する者を輩出するなど、相当な教育水準を有していたと考えられる。

668年 唐により高句麗滅亡、平壌に安東都護府を設置
高句麗遺民は満洲の営州に強制連行される
671年 唐・新羅戦争始まる
697年 契丹・李尽忠の乱
靺鞨の乞乞仲象、乞四比羽らが東走
唐、安東都護府を廃止
698年 大祚栄、震国建国
705年 大門芸が唐に入侍
唐による侍御史を震国に派遣
安東都督府復活
713年 唐、大祚栄に渤海郡王に冊封
719年 大祚栄卒し、大武芸即位
721年 新羅による東北国境での長城建設
722年 黒水靺鞨が渤海領を通過して唐に遣使
725年 唐により黒水靺鞨に黒水府が設置される
726年 大武芸の弟・大門芸、唐に亡命
727年 渤海、高仁義らを日本に派遣。蝦夷地に漂着したため高仁義等多数が殺害され、残った者が高斉徳に率いられ入京
728年 日本、送渤海使を派遣
732年 渤海の将・張文休、水軍を率いて山東の蓬莱港を占領
733年 唐、大門芸に命じて渤海を攻撃させるが、大雪のため失敗
738年 大武芸卒、大欽茂即位
739年 遣唐判官・平群広成、渤海使とともに帰国
746年 渤海人及び鉄利人1100人出羽国に漂着
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749年 この頃、旧国より中京顕徳府に遷都
755年 この頃、中京顕徳府から上京龍泉府に遷都
762年 唐により大欽茂を渤海国王に冊封
774年 大興から宝暦に改元
777年 日本の舞女11人を唐に献上
779年 渤海人通事、日本の朝廷で鉄利人と席を争う
785年 上京龍泉府から東京龍原府に遷都
790年 新羅、伯魚を渤海に派遣
793年 大欽茂卒
弟・元義が即位するが廃位され、嫡孫が即位
都を東京龍原府から上京龍泉府に戻す
798年 唐により大嵩璘を渤海国王に冊封
809年 唐により大元瑜を渤海国王に冊封
810年 日本からの最後の第15次遣渤海使
812年 新羅が崇正を派遣
813年 唐により大言義を渤海国王に冊封
818年 唐により大仁秀を渤海国王に冊封
821年 王文矩を日本に派遣
826年 新羅、渤海との国境に長城を築く
830年 大仁秀卒、大彜震が即位
咸和と改元
833年 賀守謙を幽州盧龍節度使に派遣
唐により張建章の渤海遣使
853年 張建章が幽州に戻り『渤海記』を著す
860年 李居正を日本に派遣
906年 宰相の烏炤度を唐に遣使
その子の光賛、賓貢に及第
907年 唐滅亡。渤海
911年 大光賛を後梁に派遣
918年 遼に使節を派遣
919年 最後の渤海使を日本に派遣
924年 渤海軍、契丹軍占領中の遼東に反攻
925年 契丹軍、渤海の扶余府に侵攻
礼部卿の大和釣ら100戸を率いて高麗に投ず
926年 契丹軍、上京龍泉府を攻略。渤海滅亡
契丹、渤海故地に東丹国設置。
928年 東丹国、遼陽に遷都
929年 東丹国使、来日
930年 日本との通交が絶える
以降、東丹国が史料から消滅

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2009年05月31日 09:44に投稿されたエントリーのページです。

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